猫の日に、猫がいる幸せを噛みしめる

昨日は猫の日だったらしい。忙しくてすっかり忘れていた。最近テレビも見ないし、そういう話題が入ってこないせいだ。たしか昨年は2が並びまくって(2022/2/2)、スーパー猫の日とか言われていたっけな。

そんなわけで我が家では特段なにもしなかった。
猫たちは相変わらずのほほんと過ごしており、屋根から落ちてくる雪にびっくりして背中の毛をぼうぼうにしたり、ルンバのためにソファーに乗せていたバリバリボウル、その上でなぜか喧嘩がはじまり、バランスを崩して一緒に落下したりしていた。

おでかけを阻む猫たち

娘はまもなく家を離れる。ここから1000kmも離れた大都会で新しい生活を始めるのだ。当然猫はいない。たまたまペット可物件ではあるものの、ペットを飼う余裕などあるとは思えないし、やめておいた方がいいと本人もわかっている。

なので、アレビビのやわらかい身体を撫でながら、「これが触れなくなるのは寂しい」と呻いている。

その気持ちはよくわかる。

おじさんのように寛ぐビビ

前猫かぶとを亡くしたとき、もう猫は飼わないと思った。看取りがきつくて、もうこんな思いをしたくないと感じたからだ。
それでも猫が好きだからYouTubeやInstagramで猫の画像や動画を見まくった。見まくった結果、『世の中にはこんなに多くの猫がいて、やっぱりこんなに愛らしい』と再認識した。動画は前猫かぶとを失った気持ちを癒してはくれたが、それでも足りないものがあった。

――ぬくもり(別名もふもふ)だ。

猫のからだに触れ、もふもふ感を感じること。これだけがどうしても出来ない。その感触は覚えているというのに、いつしか忘れてしまいそうで怖い。あの小さな生き物を腕に抱き、日なたのような匂いを嗅ぎたい。

そういう思いだけが、どうしても満たされなかった(満たされないどころか、それがどんどん欲しくなる。まるでドラッグ効果だ)。

たすけてください

そんな気持ちを経てアレビビを腕に抱き、今に至る。
今となっては「このぬくもりなくしてどう生きてきたのか」と思えるくらいに毎日もふもふしている。だから、娘はきっと新しい生活に慣れた頃、アレビビを思って寂しくなるだろう。

そんなことを思いながら、猫たちの頭を撫でてその日を終えた。

猫の日に、結局なにもしなかった飼い主の話である。

暗闇に憂う猫

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