懐かしい銭湯の思い出に浸る飼い主と、そんなことは知らないよの猫たち

昨日、久しぶりに銭湯に行った。
子供のころ、お風呂がない家に住んでいたので(当時そういう家は多かった)夕方になると兄とふたりで近所の銭湯に行っていたものだ。

プラスチックの容器に入ったせっけんと、シャンプー・リンス。体をこするタオルとバスタオル。サンダルを履いて、茜色の落ちてくる空を兄貴とふたりで駆けていく。今では考えられないけれど、そのころはまだ、子供だけで銭湯に行くことを咎められる時代ではなかった。

番台は背丈よりずっと高く、おばさんはちらりと見てぶっきらぼうに「いらっしゃい」と言うだけ。たまにおじさんが座っていて、そっちの人のが愛想が良かった気がする。
壁一枚を挟んで天井から少し間のあいた男湯から声がよく聞こえてくる。「先に出てるぞ」とか「お母さん、せっけん忘れた」とか。
パーマをあてるような温風の出る椅子にはいつも誰かが座っていた。使いたかったけれど、おばさん達の目が怖くて使ったことはない。

午後4時から始まる銭湯に行くと、風呂が熱すぎてすぐに入れなかった。太い蛇口から恐ろしい勢いで水が流れるのを、数名の大人とじっと眺めて待った。

泳いではいけません。タオルを入れてはいけません。

知らない大人に注意されることは当たり前で、だからといって何も思わなかった。背中に泡がついていたら流してくれたし、「ひとりできてるの、えらいね」と褒めてくれた。

いつもカツゲンかマミーを飲むかで悩んだ。カツゲンの方が少ないけど安い。マミーは多いけれどちょっと高い。
大体交互に買っていたような気がする。
番台を挟んであっちとこっちで飲み物を買い、銭湯を出た先で兄貴と落ち合って飲み物を飲んだ。濡れた髪はそのままだった。
いつの間にか日は暮れ、山間をうっすら照らす夕焼けに向かって走って帰った。せっけんが、古い歌のようにカタカタ鳴っていた。

そんなことを思い出しながらの銭湯だった。といっても思いのほかスーパー銭湯みたいな作りで、ノスタルジーを感じさせるものはほとんどなかったけれど。

お風呂あがりに無糖炭酸を買って飲んだら、噴水みたいに噴き出してびしょぬれになった。せっかく風呂に入ったのにと思いながら、人目を気にして静かに後処理をした。

家に帰ると猫たちが玄関で鎮座していた。

その目は、「ぼくたちのごはんの時間がとっくにすぎてます」と言っていた。

朝ごはんを待つ猫たち
撮ってる暇があるならごはん用意しろと言う顔のビビ
まだくれないんですか
はよしてくれや

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